“成功”のモノサシは自分次第

何がその人にとって”成功”かは、人によって違う

テレビなどのマスコミでは、何億ものお金を稼ぎ、億ションといわれるような超高級マンションや、大邸宅に住み、高級車を乗り回している人たちのことを「成功者」と呼び、その影響で社会的にも成功者とは多くのお金を稼いでいる人たちだというような認識があります。

高度成長期には皆がそれを目指してたくさん働きたくさん消費することを国や社会が奨励していました。

ですが、今そのような生き方を目指して、ものすごく努力し、たくさんの時間をその実現のために使ったあとに運良く手に入れられたとして、それが自分にとっての最高の幸せか、それだけの努力と時間をかけるだけの価値があるか、ということは考えてみないといけません。

梯子をかけ間違えない

私は大学生くらいの時に読んだ本の中に、「多くの人たちは梯子を必死になって登り、登り切った後でそこが自分が行きたい場所でなかったと気づく」というような趣旨のことが書かれてありました。

必死に勉強していい大学に入り、大企業に入り、また必死に仕事をして出世し、邸宅も高級車も手に入れ、子供も私立の名門校に通わせ、周りからは成功者と呼ばれているが、気が付いたら仕事に疲れ切って家族とも疎遠になっていた・・・というような話が書かれていたと思います。

自分の人生で時間は限られています。その意味で、時間は命ともいえるものです。それをつぎ込んで、たくさん努力もして、もしかしたらいろいろなものも犠牲にして、ようやく辿り着いた場所が自分の望むものでなかったら…と思うとぞっとしました。

私は社会人になるときに、これからどういう生き方をしたいか考えて、最高の人生を生きられるとしたらどんな人生か、ということをずっと考えていました。私は高級車や大邸宅や、高級ホテルに滞在するようなバカンスといったものにあまり興味がありませんでした。というより、それを目指すのに自分の時間=人生の、それも若くてなんでもできる最高の時間を使うほどには望んでいない、自分にとってそれはそんなには価値がない、ということがわかりました。

たくさん考えた結果、私にとって最高の人生は、最高のパートナーや仲間に囲まれ、世界中を旅し、若い間はスポーツの分野でプロとして仕事をし、少し成熟したらどこか大好きな場所に落ち着いて家族を持ち、それから今度は家族として旅をしたい、オモシロいことをたくさんしたい、冒険にあふれた人生を送りたい、というものでした。

それが叶ったら最高の人生だ、と思いました。ならば、最高の人生を叶えるために最大の努力をしよう、その最高の人生をかなえるためにこの人生を生きよう、と思いました。そのためには誰に反対されても何を言われても自分を信じて突き進もう!と思い、実際にそうしてきました。

今までのところ、ありがたいことに自分の望んでいたことはすべて叶いました。それぞれの年代ごとにそれぞれの夢があるので、今は次の夢に向かって努力しているところです。

私にとっての最高の人生は、世間一般の最高の人生と違います。でも、それでいいのです。だって、みんな違うのですから。みんなそれぞれに、自分が思う最高の人生を実現させるために生きればいいのです。そしてそれが叶ったら堂々と、自分の人生は大成功だ、と言えば、もしくは思えばいいのです。(自慢する必要はありませんが、世間一般の成功と違うからと言って人と比べて卑屈になる必要はありません。)そうでなくて、皆が大きな家や高級車を所有することを目標にしていれば、地球は壊れます。w それに、すごく面白くない社会です。みなが違い、欲しい現実が違うから世界は面白いのです。

それが、自分軸で生きる、ということだと思います。

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